大阪地方裁判所 昭和40年(行ウ)120号 判決 1969年4月12日
原告 北邨進一
被告 奈良税務署長
訴訟代理人 土橋忠一 外二名
主文
被告が原告に対してなした昭和三八年一一月二七日付同三七年度所得税更正処分(ただし昭和四〇年四月二七日付大阪国税局長の裁決により課税総所得金額三、五四一、二〇〇円と変更されたもの)のうち課税総所得金額三、〇三三、四〇〇円を超える部分並びに右更正処分に付帯する無申告加算税賦課処分(前記裁決により変更されたもの)中金八六、八〇〇円を超える部分を取消す。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担その余を原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告が原告に対してなした昭和三八年一一月二七日付昭和三七年度所得税更正処分(課税総所得金額五、二六三、一〇〇円、ただし、昭和四〇年四月二七日付大阪国税局長の裁決により三、五四一、二〇〇円と変更)のうち課税総所得金額八七六、二五〇円を超える部分並びに無申告加算税賦課処分中右に対応する部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、
その請求原因として
一、原告は昭和三七年度所得税の総所得金額を七五〇、〇〇〇円(譲渡所得のみで他の所得はない)とした期限後の確定申告をしたところ、被告は、昭和三八年一一月二七日原告の右所得額を一〇、八七一、三六六円所得税額一、八二三、八九五円無申告加算税額一八二、〇〇〇円とした更正処分をした。そこで原告は被告に対し異議申立をした上大阪国税局長に審査請求をしたところ、同局長は、昭和四〇年四月二七日原告の総所得金額を七、五二四、〇〇〇円と認め原処分の一部を取消して課税総所得金額三、五四一、二〇〇円所得税額一、〇七一、九八〇円無申告加算税額一〇七、一〇〇円とする審査請求一部認容一部棄却の裁決処分をした。
二、しかしながら原告の右年度における所得額は二、〇〇〇、〇〇〇円であるから大阪国税局長により維持された原処分には所得額を過大に認定した違法がある。すなわち、
(1) 原告は、奈良市油坂町字出口一番六二宅地一五坪(四九、五八平方米以下同じ)及び同町字イコニホ三〇番九宅地二五坪二合(八三、三〇平方米以下同じ以上二筆を本件土地という)を所有していたが、昭和三七年九月一八日岩本茂一こと李春成に対し右地上所在の原告の兄北邨学所有にかかる家屋番号同町四八番木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪一、二階共二五坪一合(八二、九七平方米以下同じ)及び原告の母北邨ハル子所有の木造平家建トタン葺建物一棟建坪一五坪(四九、五八平方米以下同じ)とともに一括して代金七、〇〇〇、〇〇〇円をもつて売買により譲渡した。
(2) 北邨学は右建物に居住し北邨ハル子は右店舗で米穀商を営んでいたので原告だけが売買代金を独占することはできず売買の接渉に当つた原告の父北邨増治郎は買主との売値交渉と平行して原告、ハル子、学と分配につき協議した結果、原告、学が各二、〇〇〇、〇〇〇円、ハル子が三、〇〇〇、〇〇〇円を取得することと定めたが、右は、原告については底地価格に、学については代替物件購入資金相当額に、ハル子については代替店舗購入資金相当額に該当するものである。そして学は奈良市登大路寺町に土地を購入し、ハル子は同市三条通において引続き米穀商を営んでいるのである。
(3) 仮りに右売買が一括売買でないとしても、学、ハル子に支払われた金員は、土地売却に際しての必要経費とみるべきである。しからば原告の所得額はいずれにしても二、〇〇〇、〇〇〇円であり、課税所得金額は八七六、二五〇円となる。
三、よつて被告の前記更正処分中原告の課税所得金額八七六、二五〇円を超える部分の所得税、無申告加算税賦課処分の取消を求めるため本訴に及んだ、と述べ、
被告の主張に対し
本件土地の取得価額が八六、一四一円であること及び本件の基礎控除額が九七、五〇〇円であることはいずれも認める、と述べ、
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、
答弁として、
一、原告の請求原因第一項は認める。
二、同第二項中原告が主張の土地を所有していたこと、主張の日に岩本茂一こと李春成に売買により譲渡したことは認めるが、その余の事実は争う。
三、同第三項は争う。
と述べ、
主張として、
一、原告は本件不動産の譲渡金額を七五〇、〇〇〇円とする期限後確定申告を被告に提出したが右金額は本件土地の譲渡代金としては著るしく低いものであり、また原告は、被告の調査に対しても全く応答しなかつたので止むなく被告は売買実例価額に基いて時価額を推計し更正処分を行つた。
二、その後審査請求の段階において、原告の父増治郎は担当の国税局協議官(以下協議官という)に対し本件の売買契約書を呈示したがそれによると譲渡代金は一、五〇〇、〇〇〇円となつており、更に、同人は右金額のうち七五〇、〇〇〇円は本件土地上にあつた原告の兄学の建物に対する分であるから原告の譲渡金額は残りの七五〇、〇〇〇円であると説明した。ところが昭和三九年一〇月六日協議官と増治郎が面談した際は本件売買代金は三、五〇〇、〇〇〇円であつたと申し立てるなど同人の説明は一貫性がなかつた。
三、本訴においても当初原告は売買代金三、五〇〇、〇〇〇円うち建物代金七五〇、〇〇〇円母ハル子の営業補償金二、〇〇〇、〇〇〇円であるから原告の取り分は七五〇、〇〇〇円に過ぎないと主張したが、代金額の当否を別としても土地所有者たる原告の取り分が比率、金額の点で著るしく小さい点からみて母ハル子の営業補償の名の下に所得の減少を計り税負担を免れようとしたものと考えられる。結局原告は売買代金として七、〇〇〇、〇〇〇円を主張するが、従来の主張の変遷(七五〇、〇〇〇円→一、五〇〇、〇〇〇円→三、五〇〇、〇〇〇円→七、〇〇〇、〇〇〇円)からみてもこれまでの主張金額同様信用し難いものである。
四、原告主張の七、〇〇〇、〇〇〇円が真実の売買代金とみられないとすれば、買受人李春成がパチンコ店開業を目的として本件土地を買受け、原告とは特別の関係を有するものではなく、又原告にも売急ぐ必要がなかつた点からして、本件売買は時価に比べ低い金額で譲渡されたとは考えられないから、左記計算方法により算出した時価額である八、〇七三、二四五円をもつて売買されたものと推認するのが相当である。
まず、原告が本件土地を譲渡した時期に近い時期における近隣地の売買実例六件につき坪(三、三平方米以下同じ)当り単価を算出し、これを大阪国税局作成の路線価と対比させるため財団法人日本不動産研究所作成の全国市街地価格指数により路線価の評価時期三六年一〇月の価額に修正して、それぞれ修正坪当り価額を算出し、各路線価に対する比率を求め、平均値二〇八を算出する。すなわち本件土地の近隣地の時価は、平均路線価の二〇八%とみることができるので、これと本件土地の路線価とより逆算して、本件土地の三七年九月における価額を推計することができる。
(1) 本件土地の路線価×倍率=修正坪単価
84,000(円)×208(%)= 174,720(円)
(2) 修正坪単価÷修正率=37年9月の坪単価
174,720(円)÷87(%)= 200,827(円)
(3) 37年9月の坪単価×坪数=時価額
200,827(円)×40.20(坪)= 8,073,245(円)
五、(1) 原告は、ハル子が本件土地上に所有する建物で米穀商を営んでいたと主張する。しかし右建物は、もともと昭和二五年に、西喜三郎がバラツクとして建築を始めたが、中途で地主により中止させられ、そのままの状態で原告が土地を購入したから、結局土地に付属したものとして原告の所有に帰したとみるべく、その後ハル子がバラツクを完成させて使用したとしても所有権が移転するわけでなく、かりにハル子所有のものとしても長期間使用されないまま放置されていたから無価値に等しくハル子の受領した金員は土地譲渡に伴う経費とは認められない。
また、ハル子の夫増治郎が本件係争年度前後の所得税確定申告(米穀商による所得金額は係争年分四六、二四三円翌三八年分五五、四二二円)において、本件土地上の米殻商による所得を自己のものとして申告しており、ハル子が増治郎の扶養親族となつているのをみると、前記建物による米殻商の主宰者は、増治郎であり、ハル子が主宰していたとは認め難い。
(2) ハル子が営業していたと称する店舗は、昭和三三年頃閉店し、一方現在営業している三条町の店は、本件売買の一年前である昭和三六年一〇月一日に賃貸借契約がなされ、同年一一月二四日に店舗変更許可をうけているから、ハル子は本件売買と無関係に過去において店舗を閉鎖しかつ新店舗に移転済みであつて、本件売買を原因として原告から営業補償ないし店舗売却代金の如きを受けるべき事情はなかつた。本件土地上の米殻店が現実には閉鎖されている間も、昭和三六年二月二四日までは登録上存続し、配給業務は西之坂町の増治郎の店舗から行われていた。
六、学の建物については、既に昭和三三年夏釘付けされ、本件売買の行われた時期まで使用されていなかつたからハル子の場合同様立退料を支払うべき事情はなかつた。また右建物は使用に堪えない老朽家屋であつたから建物代金としては取得価格に相当する四〇〇、〇〇〇円とみれば十分である。
七、次に本件土地は、昭和二七年一二月三一日以前に取得したものであるから、当時施行の所得税法施行規則第一二条の九によりその取得価額を計算するわけであり、右特例によれば、
(1) 117.19円(地番1の40の賃貸価格、このうち15坪が本件1の62の土地)÷38.4坪(1の40の坪数)×15 = 45.78(円)
(2) 245.56円(地番30の3の賃貸価格、このうち25.2坪が本件30の9の土地)÷140.81坪(30の3の坪数)×25.2 = 43.95(円)
(3) 45.78(円)+43.95(円)= 89.73(円)(本件土地の賃貸価格)
(4) 大阪国税局作成の相続税財産評価基準書による倍率960倍
89.73(円)×960 = 86.141(円)(本件土地の取得価額)
となる。
八、本件取引は、原告の土地だけを目当てになされたものであるが、原告が学に支払つた金員は、正当な建物の代価であれば、一括売買としても譲渡経費としても、譲渡所得額に変動はないので、原告の課税所得額は、左記計算により三、六一二、〇五二円となり、この額は、大阪国税局長の裁決により維持された原処分の額を上廻るから被告の更正処分は違法でないといわなければならない。
表<省略>
証拠<省略>
理由
一、原告の請求原因第一項の事実は、当事者間に争いがない。
二、そこでまず、本件売買の内容とこれをめぐる法律関係について考察する。
(1) 原告が、その主張にかかる本件土地を所有していたこと、昭和三七年九月一八日岩本茂一こと李春成に対し売買により所有権を譲渡したこと、の各事実は、当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、右地上には原告の兄北邨学の所有していた家屋番号油坂町四八番木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪一、二階共二五坪一合の建物の外、木造平家建建物一棟が存在していたことが認められ、前掲<証拠省略>を総合すると本件売買は、前記土地建物を目的とした一括売買であつて、売買代金は内訳を定めず総額七、〇〇〇、〇〇〇円であつたこと(代金が七、〇〇〇、〇〇〇円であつたことは原告の自認するところである)を認めることができ、<証拠省略>中右認定に反する部分は前掲各証拠と比較して措信し難く他に右認定を動かすような証拠はない。
被告は本件売買の代金額は時価相当額である八、〇七三、二四五円と推定すべきであると主張するが、右のように認定できる以上更に時価相当額を推定する必要はないから被告の主張は採用できない。
(2) 原告は、本件売買は、売主を原告、ハル子、学の三名、買主を李春成とするものであると主張し、被告はこれを争うので考えるに、<証拠省略>によれば、本件売買の当事者として、売主は原告と学の両名、買主は李春成であつたこと、売主側はそれぞれの父である北邨増治郎を代理人として売買の交渉をし、契約の締結、履行を遂げたものであることの各事実を認めることができ<証拠省略>中右認定に反する部分は前掲証拠と対比して信用することができない。
もつとも原告は、原告所有の本件土地上にはハル子所有の建物があつたと主張し、右地上に木造平家建の建物が存在したこと及びこれが本件売買の目的に入つていたことは、前記認定のとおりである。
しかしながら、右建物がハル子の所有であつた点については、後掲証拠と対照してたやすく信をおき難い。<証拠省略>中の原告主張に沿う趣旨の供述部分以外には認めるに足る証拠がなく、却つて、<証拠省略>によれば、原告がハル子の所有であつたと主張する建物はもともと本件地上の二階建建物(後に学の所有となつた建物)を賃借していた西喜三郎が建築した未完成の建物を次の経緯で完成したものであること、すなわち西喜三郎は昭和二四、五年頃賃借建物の空地にバラツクの建築を始め屋根、壁を欠く未完成の状態に至つた際地主の反対にあい建築を中止し、そのまま放置し、昭和三三年頃右賃借建物から退去したのであるが、その間、昭和二五年頃原告は本件土地を右のバラツク付きのまま買受け、その後同二六年七月頃北邨ハル子の資金により右バラツクに屋根をひき壁をつけ表にガラス障子を入れ、便所、炊事場を作るなどして米穀販売の店舗を完成し使用されていたこと、右店舗は登記されていなかつたこと、以上の事実を認めることができ右認定に反する証拠はなく、この事実に<証拠省略>を合わせ考えると前記店舗は建坪一〇坪前後、屋根はスレート又はトタン葺の粗末な建物であつたことを認めることができる。
そして本件全証拠によつても西喜三郎がその建築にかかる未完成のバラツクの所有権を放棄し又は地主に贈与したとの事実は認め難いけれども、前記認定のごとき状態のもとにおいては右未完成のバラツクはまだ独立の不動産たる域に達していなかつたものと認めるのが相当であり従つて土地の一部分とみるべきであるから結局右バラツクは本件土地に附合して本件土地買受と同時に原告の所有に帰したものというべきであり、前記西が民法第二四八条により償金請求権を有したか否かはもとより右の認定を左右するものではない。
ところでその後においてハル子の資金で前記のような建物を完成した場合に所有権は何人に帰属するであろうか。民法は動産に加工した場合について第二四六条の規定をおいているが、不動産の一部に加工し別個の不動産を完成した場合については何等の規定をおいていないので、民法の右の規定を不動産についても類推適用する見解も考えられないではない。しかし動産と異り建物のような不動産につき加工による所有権の取得を認めるのは、原則として、土地所有者に対抗しうる権限の取得を伴わない以上何ら実質的意義がなくあたかも建物取毀しの材木と土地明渡債務を取得したのと大差がないとすれば社会経済的見地からみて到底是認し難いところであり、むしろ、民法第二四二条本文の規定の趣旨に照らし、原則として元の不動産の所有者に帰属するものとし、加工者に対しては償金請求権を付与した方が遥かに勝つているということができる。
そうすると本件においてハル子が前記認定のような建物完成のための資金を提供した事実があつたとしてもこれにより完成した建物の所有権を同人に移転した事実に関する主張立証のない以上建物の所有権は原告に帰属したのでありハル子は単に民法第二四八条所定の償金請求権を取得したに止ると認めるのが相当である。
(3) そうすると本件売買の売主側の当事者は、原告、学の両名であるから、一括して定められた売買代金中原告に帰属すべき部分は、代金総額から学所有の建物の代金を控除した残額に相当するわけである。そして、<証拠省略>によれば、学の建物は、昭和三四年六月一五日石井喜之助から代金四〇〇、〇〇〇円で買受けたものであり、当時学は、父増治郎の旅館業の手伝をして月四、〇〇〇円程度の収入があつたこと、同人が、右建物を買受けた動機は次のような理由であること、すなわち、本件土地は借家付のまま原告の所有となつていたが、当時借家人が立退き建物を明渡したので家主である石井から建物売却の申入があつたこと、しかるに原告には買取の資金がなく、断ると他に売却される虞れがあつたため、兄弟である学が資金を出して買受けたものであること、以上の事実を認めることができ、他に右認定に反する証拠はなく、右認定事実によれば、学は原告との親族関係に基礎付けられ右建物を所有していたのであつて、その使用関係は、使用貸借に基くものと認めることができる。もつとも<証拠省略>中には同人が地代と称して月一、〇〇〇円位の金員を原告に交付していた旨の部分があるけれども、右認定のとおり、本件建物は他に売却されるのを防ぐ目的で買取つたのであつて、いわば原告の所有にかかる本件土地の有効利用を図る趣旨であつたとも考えられ、たとえ前記のような金員の交付があつたとしても本件土地の貨借が賃料取得を目的とする賃貸借であつたと認めるに足りない。しかも、<証拠省略>によれば、本件の売買当時、右建物は何人も居住していない空屋で廃屋同然であつたことが認められ、また、<証拠省略>によれば、本件売買は土地を主目的とし、建物は必要がなく、売買後程なく取り毀わしたことが明らかである。以上の事実によれば本件売買当時における学の土地に対する使用貸借権を含めた建物の価額は、金四〇〇、〇〇〇円を超えないと認めるのを相当とする。
(4) 原告は、本件売買代金の分配については売買交渉と併行して協議の結果、原告、学につき各二、〇〇〇、〇〇〇円、ハル子につき三、〇〇〇、〇〇〇円とすることで協議が成立したから各自の、取得額は右金額によるべきであると主張するけれども、ハル子が売買の当事者でないことは前記認定のとおりであるから、同人を当事者とする分配の協議が無意味であることは多言を要しない。ひつきよう原告の主張は、後記のように経費となる分を除いては一旦売主に帰属した代金を家族内で適宜更に分配した趣旨に帰するので主張自体失当という外はない。
(5) 次に原告は、仮りに右主張は失当としても、学、ハル子に支払われた金員は、売買の経費に該当すると主張するので考える。
本件売買当時施行の旧所得税法第九条第一項第八号は、資産の譲渡による譲渡所得は、その年中の総収入金額から資産の取得価額、設備費改良費及び譲渡に関する経費を控除した金額の合計額と定めており、譲渡に関する経費には譲渡のため直接支出する周旋料、登録料、代書料等の外、譲渡のため間接的に支出される、たとえば借家人を立退かせる場合における立退料等をも含むものと解すべきである。
しかし本件の場合、学についてはさきに認定したとおり、同人の建物及び土地使用権を一体として売買の目的としたのであるからその外に原告につき経費として認むべき支出を要したとは解されず、かつその証拠もないので、学についての原告の主張は理由がなく、また、ハル子に関しては、<証拠省略>によれば、本件土地上に存在した前掲平家建店舗において昭和二六年以降同人名義の下に米穀販売業の営まれた事実を認めることができるけれども、一方、同人の夫北邨増治郎が本件売買当時、自己の所得税の確定申告にハル子名義の米穀商による所得をも自己の所得として申告し、ハル子が増治郎の扶養親族となつていたとの被告の主張事実は、原告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきところ、右事実に<証拠省略>を総合すると、ハル子名義の米穀販売営業は、実際には北邨増治郎の主宰するものであつたこと、のみならず、右営業は、本件売買と無関係にその約一年前である昭和三六年一〇月奈良市三条四八五の一に店舗の移転をしハル子名義で営業していた平家建建物は空屋となつていた事実が認められ、<証拠省略>中右認定に反する部分は、前掲<証拠省略>と比較して措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はなく、右認定事実によれば、ハル子に本件売買に関し営業の補償をし或いは立退料を支払うような法律関係はこれを認めるに由がない。しかしながら原告は、ハル子に対し、同人が前記平家建建物完成に要した費用の償還債務を負担していることは前示のとおりであり、右債務は原告が右建物の所有権取得の対価関係において負担するに至つたものであるから、それは売買代金等と同じく原告の右建物の取得価額の内容の一部をなしているものというべきであつてその消滅につき主張立証のないかぎり、原告がハル子に対して支払つた金員のうち右債務額の限度においては譲渡所得の経費であると認めるのが相当である。そして前記認定にかかるハル子名義の営業店舗であつた平家建建物の面積、形状、構造等に照らし、かつその裏にあつた学所有の建物と比較考察すると、右店舗の完成と共にハル子が有するに至つた原告に対する償金請求権は最大限一〇〇、〇〇〇円を越えることは考えられないのでこれを金一〇〇、〇〇〇円と認めるのを相当とする。
しからば右の限度において原告がハル子に支払つた金員が譲渡所得の経費であるとする原告の主張は正当であるが、その余は経費ではなく、単純な贈与にすぎないといわなけばならない。
三、以上の説示によれば原告が本件売買により取得した代金額は、総額七、〇〇〇、〇〇〇円から学の建物と使用権の代金額と認める四〇〇、〇〇〇円を控除した六、六〇〇、〇〇〇円であるところ、本件土地の取得価額が金八六、一四一円であることは当事者間に争いがなく、更に平家建建物の取得価額が一〇〇、〇〇〇円であると認むべきことは前示のとおりであり、その他<証拠省略>によれば原告は本件登記に際し売買契約書作成等の代書料を支出したことが認められ、右の金額が金二、〇〇〇円を越えないことは公知の事実であるからこれを二、〇〇〇円と認定すると以上の経費を控除した原告の譲渡所得額は六、四一一、八五九円となるのでこれから旧所得税法九条、九条の三、一二条の各規定により特別控除、基礎控除をした上課税総所得を計算すると三、〇三三、四二九円となるから、(当時施行の国税通則法第九〇条により一〇〇円未満は切捨てとなる)被告のした原処分(大阪国税局長の審査で維持されたもの)中課税総所得金額三、〇三三、四〇〇円を超える部分の所得税並びに無申告加算税賦課処分は違法であるから取消すべきものである。
四、よつて右認定の範囲で原告の本訴請求を正当として認容し、その余は不当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石崎甚八 仲江利政 南三郎)